-
-
3
それからの私は色んな経験を重ねました。
それなりにつらいこともあり、その度に
先生とのランチの時間を思い出したり、先生なら今の私に向かって何と言うだろう?などと考えたり
先生のお名前を検索しては在籍されてる病院を知るなどしたり、半ばストーカーのようなことをしていました😂
そして今年の5月、先生が美容外科のドクターになったと知りました。
これまでは内科だったので会いに行けませんでしたが、美容とくれば自費診療ですから大手を振って会いに行けるのです。
ということで迎えたのが本日です。
カウンセリングシートに「当院へお越しになったキッカケを教えてください」という欄がありましたが
「先生に会いたかったから」という世にも恐ろしい回答をしました👻
先生に会うことが目的だったので、何の美容の施術を受けようかなどとは特別考えておりませんでしたが
とりあえずそれらしいことを伝えてカウンセリングへと進みます。
待合個室のドアがノックされ、返事をすると先生登場!!!!
胸が暑くなって言葉が出なかったです😭
「ちょっとー!久しぶりじゃん!元気にしてた?もう🐎🦌なこと考えてない!?」と仰る先生、間違いなく私のことをしっかりと覚えてる😂
少しだけ近況報告をし、少しだけ施術を受けることを取り決めました。
その後別室に移動して施術。
少し痛いですよ〜という言葉ととも注射をされましたが
やっぱり先生は全てが丁寧で優しく、外科で培ったスキルがあるからか無痛で笑いました😂
手術後の抜糸も、全く痛くなくて拍子抜けしたことをぼんやりと思い出していました。
「少しだけ待ってて、お見送りしたいから」と言い残し、処置室から去った先生。
20分後、他のお客様の施術を終わらせたらしい先生は、処置室から玄関外まで私を見送りしてくださりました。
「いやはや、大人になったねえ」と私を見て笑う先生。
「生きてりゃなんとでもなるんだよ☺️またね」と送り出してくださって、また涙が出そうになりました。
今日は会いに行って本当に良かったですし、ますます先生のことをお慕いする気持ちが大きくなりました。
私は、出会いの引きが本当に強いと自負しておりますが、先生との出会いも またその一つです。 -
2
手術を終え
結局、入院は一ヶ月と長くなってしまいましたが
先生が毎日優しく励ましてくださったりして、不安のない生活を送りました。
退院後の経過観察の際に、先生から
「僕ね、関東に行くの。内科の勉強するんだ」と言われました。
応援の気持ちと寂しい気持ちでいっぱいになりましたね(笑)
そして先生が関東へ行かれた頃、私はプライベートで災厄に見舞われます。
その時は、死んでしまおうかと何度も思いました。
仕事を辞めて実家へ帰り、精神科のお世話になっていたのですが、その時に先生のお顔を見たくなりまして
思い立ったら即行動、夜行バスで先生がいらっしゃる川崎へ行ったのです。
大きな総合病院でした。
受付にて、私は「内科を受診したい、ピアスのキャッチが埋まった」と言いました。
↑その後、待合中に看護師さんが私の方へ来て、その処置は外科になることを伝えられました。当然ですね😂
でも先生がいらっしゃる標榜科は内科です、どうやって会おう?と悩んでいると
待合室に先生が降臨、キョロキョロと見渡し私を見つけると、こちらまで駆け寄ってきました。
「羽田野さん。こんなところまで来たってことは、何かあるでしょう?お昼に時間つくるから、院内でランチをしよう。待っててね」と言って、また自身の持ち場へ。
外科にて無事に埋まったキャッチを取っていただいた私は
先生をずっと待ちました。
そして待ちに待ったランチの時間、先生は約束通りに私を迎えてくださりました。
「今から君のお話を聴くけど、一つだけ約束して。泣かないこと。良いね?」
これにハイと答えた後、私は自分に何があったのかを話し、先生は聴いてくださりました。
案の定、自分の命を粗末にしてはいけないと叱られましたし
先生が看取った若い患者さんのお話などをしてくださりました。
「君はつらいと思う、非常に残念なことだ。でもここまで一人できたんだ、大丈夫だよ。」と言う言葉でランチは〆。 -
恩人のもとへ
こんばんは、羽田野いろはです。
今日の弾丸群馬は、恩人である肺の執刀医(以下、先生)に会いに行くことが目的でした♬
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私の胸と背中に手術痕があるのはその勲章🎖️だったりします。
以下、何度かブログに書いた話↓
ある日、突然胸が痛くなり息苦しくなった私。その日の勤務終了後に病院へ行くと、緊急入院になりました。
その時に診察してくださったのが、今回会いに行った先生です。
緊急処置としてドレーンを肺に挿すんですけど、本当は短時間で終わるらしいところ、私はそれがとても痛くて....。当時20歳だったのですが、痛くて泣いて唸りながら、麻酔を継ぎ足しながら処置をしていただきました。
気がつけばそれだけで2hほど経過しており、先生は汗だく。
一生懸命してくださってる先生を見上げて、かっこいい人だなあと思い「先生、イケメンですね」と呟くと
「お、ちょっと余裕出た?☺️」と先生。
私の痛がり方のせいで、とんでもなく長丁場になってしまったのに、イラつきもせず、ずっと優しく励ましてくださり
処置後は頑張ったね!と声をかけてくださりました。
さて、そこから1wの入院と言われたのですが、時間を重ねても、どうも良くならない。
レントゲンをよく見ると、切り取らないといけない巨大なモノがあると分かります。
その際も先生は「見つけるのが遅くなり申し訳ない」と仰りました。
本当によく見ないと分からない陰だったし、先生よりも上席のドクターも気づかなかったので仕方ないことだったと思います。
それでも先生は、私に謝罪の言葉を述べ、手術ですぐに良くなると説明してくださりました。
-
いざ
ちょっと前橋行ってくる
(高崎なう) -
ブンブンブンブン🏍️
先ほど、暴走族とまではいかないですけど
やたらとブンブンふかしながら走るバイクライダーを見ました。
法定速度は守りつつ、ブンブンブンブン🏍️💨
バイクに乗らない私でも分かる、バイクはあんなにふかさなくても良いということを。
んで、私も同じくらいのスピードで走ってたもので、しばらく並走してたんですよ。
そこでハッと気が付きました。
多分あのライダーは
ハチャトゥリアンの剣の舞を、バイクで表現していたのでは?と.....。
あのふかしのリズムは間違いなく剣の舞そのものでした。
それでは、おやすみなさい。 -
やべっ
友人との会話にて、話題は活字について。
私「『気おつける』と書いてあると、冷めてしまう」
友「わかる。『せざるおえない』とかもその手よな」
私「あるある!しかも『せざる負えない』って変換してあるパターンが多い気がする。活字を読まないとこうなるのかね」
友「活字もそうだし、読みたいものだけ読んでいてもダメなんだと思うな」
私「そっか!よく考えたら、、うちらの基礎には教科書があって、教科書に載っている作品は、別に読みたいという意思から読んでいたわけではないもんね!」
友「うむ」
↓(数日後)
私「こないだの活字の話でさ。ちょっとズレるかもしれんけど、私も人のこと言えんなって間違いをしてたことがあってさ」
友「なに?」
私「小学生の頃、父から叱られた際に『なにを不貞腐れているんだ』と言われたことがあって。
そのときに『されてない!』って返答をしたの。言葉の認識の誤りについて、父から怒りのツッコミがあったのを思い出した」
友「wwwwww」
私「気おつける、せざるおえないのこと言えないわ....」
友「小学生はそんなもんよ。いい大人が世界に発信するSNSなどで誤って書いてるのが問題であって、それは面白い笑い話よ」
私「😭」 -
不名誉
クラメンと「キャッチフレーズ考えようぜ!」という話になりました。
私のキャッチフレーズ
「暴言K9」
不名誉すぎる(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`) -
そんな個性
臨床心理士の講座で学んだこと。
たまに書く臨床心理士講座シリーズは、読んでくださってる方からたくさんの反響があります。
みなさんも私と同じように、目から鱗が落ちる感覚を覚えたり
共感できる内容が多いからだと思います。
ということで今回も、拙い文章ではありますが、講座で学んだことを書きます。
*
今年の一月、地震がありました。
その際に書いたブログにて「今は①の急性ストレス障害の時期である」ということに触れました。
この①の時期というのは、だいたい皆同じような症状とのことですが
②PTSD
③うつ状態
の時期というのは「症状の出方に個性がある」らしいです。
まあ、そりゃそうですよね。
日常生活を送っていて、うつ状態の方々からお聞きする症状は、人によって色々なので。
では、今回の地震において
なぜそのような個性がでるかというと
それはズバリ「失った物が、みんなそれぞれ違うから」とのことでした。
ご家族や親戚を失った人
家を失った人
職を失った人
思い出を失った人etc....
以上がミックスしている場合もあります。
*
私の友人(輪島で被災、家失くす)を見ていると、一見明るく、震災前とは変わらないように見えます。
最近はSNSで○○を買った、△△が欲しい♪のように言っており
○や△の部分は生活必需品というより、娯楽に近いものが入ります。
こういうことが言えるようになったのかと、一瞬ホッとした私でしたが
ふと講座で習ったことを思い出し、その認識を改めないとと思いました。
よくよく考えたら、彼女は家を失くしたのだと。
直接的な命の危険を感じ、その後仕事も満足にできず、今日明日の生活を憂う期間が大変長かった。
私とはおかれている環境が全く違うし、そんな中でのちょっとした○○や△△を求める気持ちは、私が思うよりずっと複雑であろうと。
*
②、③というのは
「命の危機が去ってから1.5ヶ月以降に、徐々に出てくる」と言われているそうです。
命の危機が去ると一言でいっても
本震があって、その後の余震も何度もあって、半年経ったと思った6月にも大きな揺れがありましたよね。
1/1に関連した命の危機が去り(例えばそれが今年の3月だとして)、②③の時期を迎えたとしても、また①に戻ることもあるのです。
地震の揺れ以上に、心の揺れがあるでしょうね。
*
「これは誰にでも言えることです。
経験はしていなくとも、報道を見ているだけの人にも発症する可能性があります。3.11でもそのケースがありました。
みなさん、被災者の方を
そして自分自身を労わってあげてください。
そのような時期(①②③)があって当然だと知ってください。
つらいときはつらいと言えた方が、予後が良いんです。
我慢すればするほど長引きますから、発散してください、それはワガママではありません。
とにかく、被災者の方や自分自身の気持ちを大切にしてください。」
と仰った先生の力強い言葉が
半年経っても、とても鮮明に残っています。
読んでくださってありがとうございました。 -
ほ
155円とかいう数字見るのいつぶりねんろ
-
家事動線
トップ画は仲良しFさまからの差し入れたち
Fさま、ありがとうございました!🙇♂️
*
建築士である私の兄弟の名言
「図面を見れば、その人が家事をするかどうかが分かる。
うちの社長のデザイン力は素晴らしいけれど、家事は任せっきりなのだろうなと思う。」
と。
そのロジックは当たりだと思うことと
それでいけばお前も社長と同じ図面を描くぞと。
803件中 221~230件を表示
-