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詫びる
令和6年1月、能登沖地震が起き
兄弟、祖父母、伯父一家が被災しました。
兄弟と祖父母が避難していたのは、自宅より離れた某学校。
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1月某日に、行方をくらませていた私の母が、兄弟らが身を寄せていた避難所に現れました。
私や兄弟だけではなく、祖父母や伯父夫婦と縁を切っていた、私の産みの母です。
兄弟より「ママが現れた」というメッセージとともに、老け込んだ母の写真が送られてきた衝撃といったらありません。
それから母は祖父母を避難所から脱出させ、金沢の自宅に連れて帰りました。
それを聞いた私は、祖母に電話をしたかったものの、母のところにいる以上は気まずくて電話をかけられませんでした。
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今は仮設住宅に入居している祖父母に、本日ようやく電話を入れ
震災後に電話をしなかったことを詫びました。
祖母はそんな大袈裟なと笑って許してくれたことと、水浸しではあるが支障はないと教えてくれました。
祖父母は、母を赦し
また母は母で祖父母を赦したのだなあと感じました。
私はいつまで、一人でモヤモヤしていれば良いのでしょうか。
18歳のときに貰った「ママはあなたの知らないところへ行きます。さようなら」という手紙や、幼少期のことを
どう整理をつけたら良いのでしょうか。
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ゲームの相棒が
「ねえ、なんで君の母は、避難所を探し当てたんだい」と聞いてきました。
珠洲という土地の事情
母のおかしさ、執念深さ
そして、しらみ潰しに避難所を訪れたのだろうと話すと
「なるほど。普段はマイナスなところが、今回においてはプラスに転じたんだね」と合点がいったようでした。
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なんでだよ!と言われそうですが
私はなんだか、疲れました。
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