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友人の言葉
まずはこの写真をご覧ください、うちの母が並べ、運用した(運用になってない)食洗機です。
↑この写真を、プライベートのSNSに投稿ふると、友人からの反応あり。
以下、友人とのやりとり↓
友「いつもより食器が少ないため、マシに見える」
私「たしかに。しかし、なぜこのように並べるのだろう?あまり言いたくないが、向こうの国の教育のせい?」
友「いや、国の教育というよりは個人の資質の問題で、おそらくお母さんは考えることが苦手なのではないかな」
私「そっか、間違いなく考えるのは苦手ぽいよね。父の言うことをすぐに信じるフレキシブルさはあるけど、考えて納得して信じているというよりかは、そんなもんかと傾倒してるのかも」
私「...でも、母のその良くも悪くもフレキシブルな部分での『悪くも』って、家事の部分だけかも。
母はカトリックだが、うちの浄土真宗の墓掃除もする。本来は異端になるだろう。
父が『神は自分の心の中にいる。お慕いする気持ちがあれば、他国の文化に触れたり宗派を超えて何かをすることも問題ない』と言ったことがキッカケで、墓掃除をしてくれるようになった。」
友「逆に、自分たちが理屈っぽいのかもね」
私「たし🦀!」
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